【正論】真珠湾への道 日米開戦六十五年(四)伊原吉之助
【正論】真珠湾への道 日米開戦65年(4)伊原吉之助

2006-12-04

■ 衝突不可避へ7つの契機

≪日米100年戦争≫

 「あの戦争」は私の生涯最大の出来事である。旧制中学4年生で敗戦を迎え、価値観が大転換した。以来、あの戦争への考察を忘れたことがない。

 相手が悪かった。若い帝国である米国が、日本に向けて西進してきたのである。米国は米洲を聖域にして中国の権益を日本と争い、自国の都合を押し付けた。開戦までの契機が7つあって、後ほど衝突が避け難くなる。

 第1の契機=ペリーによる日本開国。平和に暮らしていた日本を力ずくで開国させた。これを「ペリーの日本強姦」と称したのは岸田秀である(『日本がアメリカを赦す日』毎日新聞社)。深層心理に怨念(おんねん)が宿った。「日米百年戦争」が始まる。

 第2の契機=李朝朝鮮とその宗主国清朝の李鴻章による「夷を以て夷を制する」対日政策。これが日本に日清・日露両戦争を戦わせ、「外征型」国づくりを強いた。近所迷惑甚だしい対応だった。

 第3の契機=米国の太平洋国家化。1840年代に「明白なる天命」をふりかざしてインディアンとメキシコから土地を奪い、太平洋岸に達した米国は、1898年の米西戦争で海洋帝国化し、ハワイ、グアム、フィリピンを得て東アジアに進出する。ヘイの門戸開放宣言は、モンロー・ドクトリンからウィルソン大統領の国務長官ブライアンとランシングによる日本の対華二十一カ条への不承認声明、フーバー大統領の国務長官スティムソンの満洲国不承認主義を経て、日米交渉のハル国務長官まで一貫する米帝国の西進宣言である。

≪結局戦うほかなし≫

 第4の契機=西海岸における排日移民運動とワシントン条約体制。二十一カ条問題から数えて、日本対米華三十年戦争の始まりである。在華基督教宣教師が伝える「親中反日」感情が米紙を通じて全米に広がり、日米衝突の底流となる。

 第5の契機=世界大不況とブロック経済化。英米とも関税障壁を高めて日本の輸出を締め出した。このとき日本が英米から受けた理不尽な扱いについては、池田美智子『対日経済封鎖−−日本を追いつめた12年』(日経新聞社)に詳しい。ABCDラインによる日本締めつけの前哨戦だったといえるかもしれない。

 第6の契機=反日親中大統領フランクリン・デラノ・ローズベルト(FDR)の登場。彼は母方の祖父が対清阿片貿易で儲けたことに罪悪感を抱き、大統領当選後、「私はシナに深く同情している。何が何でもスティムソンと共に日本を叩くのだ」と言い放ってブレーンの学者を呆れさせた。

 第7の契機=中ソの謀略。蒋介石・国民政府は米英に日本を牽制(けんせい)させようとした。毛沢東・延安赤色軍閥政権は日本に蒋介石を叩かせようとした。スターリンは日中衝突を望んだ。三者の思惑が第二次上海事変で実り、日本はシナ事変の泥沼にはまった。

 第5の契機まではまだ日米衝突は必然ではなかったが、FDRの登場と中ソの画策とにより不可避となった。

 「日米は戦うべきでなかった」という反省がある。日本が石油・屑(くず)鉄など重要資源を米国に依存し、日米の生産力格差が巨大だったことからしてもっともな反省だが、米国の日本軽視の甚だしさや中ソの策謀を考えると、日本の「反省」だけでは片付かない。ジョージ・ケナンはいう。「我々は十年一日の如く…日本に嫌がらせをした」(『アメリカ外交50年』岩波書店)。日本の在華権益を尊重しなかった米国が相手では日本の努力は限られ、結局は敢然、戦うほかなかったろう。

≪指導者教育の不在≫

 「負け戦は断じてすべきではなかった」という反省もある。三国干渉時のように臥薪嘗胆(がしんしょうたん)すればよかったというのである。でも、昭和16年に満洲を含め、中国全土から撤兵できただろうか? 日清戦争当時の日本の実力では引っ込むほかなかったにしても、昭和に米国の言いなりになって臥薪嘗胆するのは無理だった。

 なぜ無理か? 軍部を含めて日本の各界が官僚制化し、指導者不在のまま「誰も責任をとらぬ」世の中になったからである。進出は指導者なしでもできるが、撤退は無理。江戸時代に各藩は藩校で指導者教育をしたから指導者に事欠かなかったものの、近代化を担う専門家・技術者が払底していた。そこで開国後は技術者・専門家教育に専念した。

 帝国大学も陸海軍の大学校も、官僚・参謀教育機関であって指導者教育はしない。そこで日本は、帝大卒業生が政治家になるころから、国家指導に問題が出てくる。第一次大戦に不用意な参戦をし、二十一カ条問題でも不用意な追加要求をして五四反日運動の原因を作った加藤高明がその代表である。大正デモクラシーが、国家運営弛緩(しかん)の転機を示す。

 帝大や陸大、海大を卒業した官僚・参謀群は、自分らの思いのまま国家を運営すべく、天皇を祭り上げて、内大臣ら輔弼(ほひつ)者の進言をそのまま認可するよう誘導した。昭和天皇は、それが立憲君主の道と信じ込まされ、3回の例外を除き、終始「指導」を控えられたのである。

 これを嘆いた徳富蘇峰は戦後日記に書く。明治天皇は要所々々でちゃんと御指導なされたのに、昭和天皇は御指導を控えられた。かくて中枢が空洞化し、官僚群がてんでんばらばらに国家運営に参画したから統一的戦争指導ができず、負けたのだと(『徳富蘇峰終戦後日記』講談社)。明治天皇は重要問題は納得するまで臣下を問い詰められた。だから臣下は周到な準備を心がけた。

≪戦後の無責任化へ≫

 「あの戦争」の反省点は、まさにこの「指導者不在」に尽きる。指導者教育の不在は、戦前より戦後に著しい。各組織の官僚制化・無責任化も戦後に著しい。国家百年の大計など、誰も考えていない。これでは集団は壊滅し、国家は亡びる。乃木希典凡将論が出て偉人を踏みにじり、平等思想が横行して下衆(げす)がのさばる世の中になった。これが「人民主権」の産物なら、「人民主権」とは下衆の政治である。

 日本は日露戦争の反省を怠って昭和の敗戦を迎え、敗戦の反省を怠って経済成長に突っ走った。国家運営が迷走しているのは、反省不足の当然の報いである。(いはら きちのすけ)

【日米開戦への主な出来事】

安政 元年 ペリーの要求で日米和親条約締結

明治27年 日清戦争

  37年 日露戦争

大正 3年 第一次世界大戦勃発

   4年 対華二十一カ条要求

昭和 6年 満洲事変

   8年 ローズベルト米大統領就任

  11年 日独防共協定結ぶ

  12年 シナ事変

  14年 第二次世界大戦勃発

  15年 日独伊三国同盟を締結

  16年 真珠湾攻撃(日米開戦)

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【2006/12/04 05:00】 | 日本 歴史 伝統 文化 | トラックバック(0) | コメント(0)
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